昭和40年12月14日 夜の御理解
よくあの人にああいうものを持たせたら、素晴らしかろうと。例えば力の強い人に金棒を持たせたらと、それは鬼に金棒の様なおかげを頂けれる人なんです。本当にあの人は持ってさえすれば美しい人じゃ。本当にあの人にお金を持たせたらどんなに気持ちようお金を使うだろうかと。大変あるですね性格の上でもそうです。あの人はもうよい人だけれでも、あれをいっちょ改めなさるると立派なんだけれどというものがあります。
今日はそれがあるですかね、生まれつきのものと、この、環境がそうさせたのがありますね。今朝森部の、高山さんの奥さんが、お参りして見えてから、いろいろお届けをした後に、本当にもう、神様が本当に御夢の中に、一番的確にお知らせを頂いてから、その色々教えて下さるんですね。それにいうなら、私の方の長男の嫁ヒデキさんが、本当にあの朗らかだそうです。
もう笑うにも大きな声で笑って、もうあの人が家の中におると、家の中が明るくなるくらいにその明るい。まああるときには、まあ少しは静かにせんねと言いたいような時も、あるとこういうわけですね。けれどもやはり人間は陽気で朗らかであるほうが良いと。実は先生、私も本当にあんたばっか(?)もうちっと慎まんのともうその、若い時から言われるくらいに朗らかだった、ていうんです。
ところがやっぱあの、主人がああいう病気をさせて頂きますようになってから十年あまりというものはですね、私の性格というものが変わってしまいましたち。ね。例えば大変、具合が悪くて休んでおられます。起きれば酒を飲まれですから、できれば起きらん事、寝とるならもう出来るだけ起きらんごとけん、もう戸口を閉めるでもそろっと閉める。話をするときでももう静かに静かにお話をする。
大きな声を出して起きられたら、また酒といわれるから、もうそのために間に10年間いわばその事だけに一生懸命その、考えてきたですからもうこのごろは私、憂鬱というわけではないけれども、いわばもの数の少ないいうなら、だまれうちになってしまいましたちこういう。ね。これなんかは環境がそうさせたのですね。けれども、嫁が来てから、嫁の朗らかなふうを見ておりますとですね。
これは、嫁の生き方のほうが本当なんだ。特にこの頃、勤めてあの私朗らかにさせて頂きよりますとこういうわけなんですね。したら、嫁がこの頃ちっとおとなしくなってきましたち。主人もおかげを頂いて来ましたち。と言う様にです、ちょうどいい具合に皆が、一人がそこに努めるところに、いわば嫁もちっとにぎやかかったつが静かになってくる。自分も、ちょうど良いぐらいに・・?になる。
主人もそれでいうなら、困ると言った様な事のないように、体の上にもおかげを頂いていきよるとこういうんです。これはもう私の性格だからと、これはその、もう、心の上にでもそうですよね、昨日秋永先生が13日会で申しておりますように、椛目のものは大体に応じて、後先はようできるけれども、その間(ま)がだらしがないとこういうですね。その間を大事にしなければいけん。
ここ20日間本気でその自分達の間の、だらしないところを本気で改めていこうじゃないかと言ったようなことをいうておりましたですね。今日、これも朝の御祈念の時に、小野先生が参ってきて「年末だからでしょうか、不況だからでしょうか、とにかくこの頃、患者さんも少ないし、とにかくまあ、ひまな時が多い」とこう言うのですね。「それでどうも憂鬱になってしまって、そのために飲まんでいい酒を飲んだり、行かんでいい所に行ったりして。
もう家内の信用まで落としてしまうような結果になって、もうこの頃何か知らん憂鬱だ」と言う様なお届けをするんですね。そしたら私御心眼に頂くのがですね、あの小城羊羹を頂くです。しかもそれ羊羹も小城羊羹と言う、いわゆる小さい城と書いてある。「小野先生、あんたは今のような生き方で行って、いくら信心も今のような信心を続けておっても、ね、いわば大きな城の主にはなれないよ」と私は申しました。
結局小野病院という小さい、いわば、病院の院長さんで終わらなければいかんぞ」と、ね、「これは本当に大きなおかげを頂きたいと思うならね、今あなたの信心の性格、あなたがまあ幸い、ね、甘い小城羊羹的なものはもっておられる。まあそこになにかその、なんてすんかね、純真さというか、そんなものを持っておられるですね。確かに。ですから羊羹はもっておるのですだから、一つこれはどうじゃろうかね。
小野先生、あなたがあの玉露でも、入れるごたるその修行を、なさったらどうだろうか」。玉露に羊羹は付き物。ね。例えば玉露を入れるにはまず、たぎったお湯をそれを、それを冷えるまで待たなければならん。ね。それはまた、入れたからというてすぐ出るわけではない、また、それだけの時間を置いて、しかもあとの一滴が、玉露といわれるくらいに美味しいのだから。
そこんところを最後までいわば、心豊かにゆっくりと、そういうおかげを頂きたい。「ほんに先生それです」と、「それが私にかけておりました」と、もう慌てて慌てて慌てもんのもうとにかく、ここで人がお届けしよると、もやもやして堪えんごたる風ですもん。もう、つまだってからお届けする、というごたる性格。というて家は今そういう閑散な時ですから、心ゆくまで御祈念でもさせて頂いて、ご理解を頂いて帰るということはないです。心がせからしい。ね。
それでいてそのなんとない、甘いものだけは持っているですね。いわゆるこれではいくらおかげを頂いたところで、小城羊羹だと私はいう。ね、これにいわばあんたに欠けておる、そこんところをですたい、はっきり神様こうやって指摘して頂くのですから、そうだというのであるから、お茶の稽古でもするごたる気持ちでです、そこんところに本気で信心の稽古をしたらどうかと。ね。
確かにそうでしょう。私それを頂いてからもう本当に、小野先生にお茶の手前でもさせるような信心をさせたら、本当に素晴らしかろうと思うです。お互いいくらゆっくりです、もうそれこそ、もう拝まな損するちいうごたる風で、いつまでもいつまでも御祈念をする人がいるです。それこそ玉露を入れるような感じです。それが玉露だけでは楽しめんだろうけれども、それに甘いムードがない。ね。
もう人のなんかとその、甘いなんというですかその、ムードを与え、その与えきらない。そういう人がやっぱありますですね。ですからもうこれは私の性格だからと、私のこれはもう生まれつきだからと、もう環境がこげん私をしてしもうたのだからというてですね、それを、私はあの改めて行くことが「信心は日々の改まりが第一」だという事じゃないだろうかと思う。ね。
本当の意味合いでの改まるというのはなかなかですけれども、そういう意味の意でなら稽古が出来ると思う。私は慌てもんだと。私は久保山先生にいつも言う。「先生、あなたも時々茶の稽古をせんの」ち、で時々それをさせるけれども、もうそのお湯が沸くこのごろ私一寸いうた。そしたら、生ぬるうして飲みぐさいごたるお茶ですもん。こげなお茶があるもんのち、ちょうど秋永先生が来せっかく入れなさったけん。頂かんわけにいかん、あ、これはいかんというぐらいのお茶です。
それでなんかちいうと割れたんどん持ってきて、もうそこに、久保山先生の小野先生のそんなところが良くあるですね。「だから先生もうあんたはもうだんだん、年をとらせて頂くのだからもう、そげんもうあんたがばたばたせんでもいいのだから、ここんところは一つゆっくりお茶の稽古でもさせて頂くごたある気持ちで、信心をしなければ、せっかくこれだけの事ができて、あとのこれだけの事が出来んという事で。
いわば、今朝の御理解ではないけれども、せっかくはわいたはずが最後の、塵を捨てていないものだから、やっぱりまた風で散らかしとると言う様な結果にしかならんじゃないか」と。ばってんこれ、60何年いわばもう生まれつきだからと言うたらもう、日々の改まりという事はないて。これは、久保山先生だけでの事ではない。私どもでそう。例えば、特に私とものあたりでは、家内があと半分でも頂いたら素晴らしいかろうとと思うです。豊美が後半分ば頂いたら素晴らしいと思うです。
それは、誰にでもあるのですけれども、はっきりしておるのですね。豊美やら家内やらの場合は。これだけの修行が出来るのであるから、ここが出来たらとこう思うです。これは二人にそれをぜんぜん違った意味で感じるですね。豊美と私ともの家内の場合は。今日も、熊本から弘子さんが参って見えられましから、ゆうべあの、宮崎えいこさんが参って、宮崎さんという熱心な信者です。
それが、その参ってきてから今朝から、先生こんなお夢を頂いたというてから、お届けされる。「やっぱりですね、人がお参りをしてくる、お話を頂いてから助かるですから、もうやっぱりその、「弘子さん」と言う人がなくなった。この頃あっちから参ってくる人は皆、先生・先生と言うんです。またそれが今日お話してをしておれば、もう村上さんが霊徳に(?)もうそれは、私にひとつのお伺い事でも頂くでも。
もうツボをついておりますもん。もう本当に成程この人がこのまま育ったらどげな素晴らしい、高徳な女の先生になるじゃろうかと言う感じですねやはり。そこで宮崎さんのお届けされるのにです、大きな竹をこう二つに割っておる。ね、それと菊の花とスイセンとをいけておるところを頂いておる。どういう事だろうかと明日椛目にお参りをするけん、なら、親先生にお届けさせて頂こうとというて参りましたとこう言う。
宮崎さんというかたは非常に、その竹を割ったような性格の人ですね。非常に熱情家です。そのためにあの、金光(かねみつ)先生の教会を出られた、元を作った人ですもんこの人。もう自分の思っうておる事をもうそれこそ、そのまますっぱり「先生あなたこうしなければおかげを頂かんばい」ち言うて、あんまりひどく言うたから、それでクウーとして出ていかしゃったですもんね。
大体。そいういう風に、竹を割ったように自分の気持ちの事思うて、言う人なんです。この宮崎さんて言う人は。ね。だからある意味合においては竹を割ったような人だという事は、ある意味よい人なんだけれどもですたいね。それではおかげは受けられん、それでは人にいわば怪我をさせるという事。ね。ですからこれを丸い竹を丸い竹にしてですたい、それに、菊の花というのは椛目の信心の事だろう。ね。
丸い素直な竹にを、器に椛目の信心の流儀をもって、スイセンを活けていくというおかげを。いわゆるこれは季節観を、今のお知らせだから、スイセンを神様は使われたとこう思うのですね。「そうでございましょう」というてから、まあその事を伝えさせてもらいますと言うて帰ったのですけれどもです。その自分の竹を割ったような気持ちが、よかごつのごと思うておるところに間違いがあるんです。ね。
宮崎さんにしかり、小野先生しかりでしょうが。またはそれをです、いわゆる環境が自分をこんなに、憂鬱な人間にしてしもうたと。ね。これではしかしいかん。いわば人が声高に笑いよるとが腹が立つごたるこれではいけん。いわゆる嫁のほがらかな生き方の方が本当だと思うて私がそれを勤めさせて頂きよりょあ、嫁も丁度よかぐらいに段々なっていきよる、私も朗らかになっていきよる。
そして肝心のその、主人のほうも、おかげを頂いていきよると言う様なです、ね、おかげ、そこに勤めるところに頂けれるのであり、そこにいわば、円満具足のだんだん足ろうたところの信心。人間の状態というものが、心の状態が育って来る。そこに私はおかげのほうの円満な、いわゆる、具足した何もかも、足ろうたところのおかげが、頂けて来るようになるとこう思う。ね。
自分のかけておるもの、それをまず自分で知らなければ。御理解を頂いてさとらないけん。人から指摘されたらほんにそうだと思わなければいけん。それを努めるめることが日々の改まりなのです。それを努めることが、ね、それを努め改まっていこうとすることが「信心は日々の改まりが第一じゃ」と、いわば完全なる人間へ、真の人間へ真の人へとこう段々進んでいくのであり、ね。
私は今日は本当に中々ある人にとってはです、例えば繁雄さんなら繁雄さんの、ね、あなたが、お茶の稽古をするような気持ちなると、例えば繁雄さんのような性格を小野先生に持っていったら、もう素晴らしかろうとこう思う。だから繁雄さんにはそれはそういうゆったりしたものは備わっているから難しいことはないけれども、備わっていない小野先生にしては、それは大変なやはり難しい事だとこういう事。
久保山先生だっても同じ事。ね。だから第三者から見たら見やすい事だけれども、その人にとっては大変難しい事だと言う事です。ですから難しいその事にやはり取り組ませてもろうて、それを日々心に掛けさせて頂いて改まっていくという事がです、信心は日々の改まりが第一と仰る。ね。小野先生に小城羊羹にその玉露のようなものを添えたら本当に立派な院長さんが出来るだろうと。
立派ないい院長さんが出来る時に、小野病院が大野病院になるじゃろうと私は今日申しました。小さい城から大きな城の城主に変わって行くことが出来るだろう。「先生、あんたここんところばいっちょ本気で焦点を置いて、改めていかなくてはいけん」と言うて、申しました事ですけれどもね。これは、もうその極端なです、だからかといってお互いにそれがあるのです。
いろんな私のほうでも、家内とか豊美とかいうのは実に極端なんです。ですからんなら、愛子なんかのような場合はどっちつかず何もかも足ろうごとあってなら、愛子自身が本気で自分を見極めた時にです、あれが欠けておる、ここんところを自分も頂かねばいかんといったようなものが、あるだろうと。そこんところを努めていく事がいよいよ、いわば信心が完成へ、いわゆる、和賀心が神に向かうていくのを信心というのじゃと仰るのはそういうのじゃないかと私は思うです。
神に向かうと進んでいくのである。これは私のもう長年のこれは性格だから、もうどうこう出来んというたら、そこに信心の日々の改まりというものはないのですから、ね、いわゆる、私共椛目全体としてはです、確かにもう、もう後先の御用は一生懸命やるけれども、後の間のところがだらしがないとこういうておるように、そこんところをほんにそうだと悟らせてもろうてです、ね、立派に仕上げていく信心の努力こそが私共に求められておるのじゃなかろうかとこう思うですね。
どうぞおかげを頂かねばなりません。